佐渡市立赤泊中学校

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学校だより【10月号】

2022.10.26

生徒の感性って素晴らしい

校長 本間祐一

 10月23日(日)、赤泊中学校の文化祭が開催されました。新型コロナウイルスの感染が問題視されるようになってから、プログラムの縮小や来校者の制限等を余儀なくされてきましたが、今年度は来校者の制限も、プログラムの縮小も行いませんでした。PTAにおいても、保護者の絶大な協力の下、食品バザーと掘り出し市を実施することができました。
 保護者の皆様の、快く理解してくださる寛大な心と、進んで協力してくださる奉仕の精神に、心から感謝申し上げます。
 さて文化祭ですが、文化祭実行委員を中心に「BLOOM in 青春祭 ~彩れ35の笑顔の花~」というスローガンを掲げて、全校生徒で準備や運営に取り組んできました。

<学習の成果発表>

 まず、これまでの学習成果の発表です。書道や絵画、技術や家庭科作品、科学研究や総合学習のレポート等、自己評価を交えながら展示しました。どの作品にも個性が溢れており、それぞれが工夫した点や苦労した点などが記されていて、見るのが楽しい展示でした。

<合唱発表>

 35人しかいないので、クラス発表やコンクールは不向きです。全校合唱で2曲発表するために、何ケ月も練習してきました。驚くべきなのは、放課後練習や自主練習を、生徒だけでもしっかりできるという自主性です。教員としての私の経験上、合唱練習では必ずと言っていいほど男女の衝突や言い争いがあるものです。「男子が歌ってくれません」とか「みんなが真面目にやってくれません」等、不平不満が爆発してクラスの調和が乱れてしまうのがこの時期です。しかし、赤泊中にいたってはこのようなトラブルは皆無でした。男子も女子も、皆が真面目に前向きに取り組む姿しかありませんでした。35人という少人数だからなのかもしれません。どうしても女子の絶対数が足りないので、ソプラノにしてもアルトにしても男子が加わらないと三部混声が成立しないのです。パート練習の段階から、男女共に仲良く練習する姿が自然に生まれているのです。そして、少ないが故の『自分が頑張らないといけない』という意識が強まるのかもしれません。みんなが作ってきた、温かい心のこもった合唱でした。涙がこみ上げてきました。

<生徒有志発表>

 生徒会企画のパフォーマンス大会です。有志と言いながら、例年クラス全員で参加したいという声が多く、生徒の中では一番熱のこもった発表になります。
 今年度は、1年生は『なっちゃんCompany』として男子がダンスを披露し、女子は裏方をサポートしました。2年生は男女に分かれ、男子は『ことしは笑わせ隊』というチーム名で某テレビ番組の大喜利を模した催しを、女子は『うちら小竹(しょうちく)組』という名前でダンスを披露しました。最後を飾ったのは3年生全員による『Eleven of Gods』で、昔話の桃太郎をアレンジした創作劇を楽しく面白く演じて魅せました。
 有志発表を見て思うのは、発想や感性が素晴らしく企画力や構成力も高度だということです。私たちが中学生だった頃に、こんなことを思いついて発表できたかと振り返ると、今の子達の凄さに感心せずにいられません。そして、「他人に笑ってもらうこと・他人に楽しんでもらうこと」に対して遠慮なく芸ができること、みんなで笑顔を共有しようとしている姿が多く、本当に楽しいひとときを過ごすことができました。
 子どもたちの閃きや発想は、この先の未来を照らす光となるに違いありません。これからも35人の笑顔の花を彩っていけるように、大人も頑張っていこうと実感するのでした。

文化祭名場面

 10月23日(日)文化祭を開催しました。作品展、合唱、生徒会有志発表、PTAバザー・掘り出し市、それぞれの分野で生徒の活躍と、保護者の皆様のご協力により、大きな成果を挙げることができました。

2年ぶりの校内球技大会

 9月28日(火)コロナウイルス等の影響で、しばらく休止していた校内球技大会を行いました。今回はバレーボールです。職員チームも参加して、共に汗を流しました。

職場体験

 10月11日(火)・18日(火)の両日、夏休みに実施できなかった、保育園での職場体験を行わせていただきました。楽しい触れあいの実習となりました。

下越駅伝に女子チームが出場

 10月5日(土)新発田市五十公野公園陸上競技場にて、下越地区中学校駅伝大会が開催されました。赤泊中からは佐渡地区大会を勝ち抜いた女子5名のチームで参加しました。駅伝としてはぎりぎりのチーム編成です。入賞はなりませんでしたが、佐渡の代表チームのひとつとして、堂々と走り切りました。

留学生との海岸清掃活動

 3年生の総合学習で、環境活動を行っているWorld Unite Japanという団体との共同活動で、海岸清掃を行いました。この活動には海外からの留学生も参加し、国際交流の場としても有意義なものとなりました。

私の中高生時代(第5回 安田夏怜教諭)

──中学校時代のことを教えてください。

 小2から地元のクラブチームで続けていた水泳に明け暮れる毎日でした。週5日、夕方6時半から9時まで3~4km泳ぐハードな日々ですが、生来の負けず嫌いで、決して練習を休みませんでした。その甲斐もあり、個人、リレーで県大会出場を果たしたことは今でも誇らしい思い出です。楽しいことはいくつも犠牲にしましたが、本気で打ち込んだ中学時代でした。
 そんな中、唯一の趣味が洋楽。当時の英語の先生が、教科書に載っているマライア・キャリーの曲を授業で流してくれました。その歌声に衝撃を受け、興奮したのを今でも覚えています。それが英語や海外に興味をもつきっかけになりました。

──高校でも水泳を続けたのですか?

 私立高校で水泳を続けることも考えましたが、佐渡高校で大学進学を目指すことにしました。親元を離れて生活する自信がなかったというのも本音です。
 高校では、担任の先生の勧めで、野球部のマネージャーになりました。前年度、佐渡高校野球部は夏の大会で決勝に進み、甲子園まであと一歩ということで注目を集めていました。2年・3年はそれぞれ10人いるかいないかの部員数ですが、私たちの代は22人入部し、一気に大所帯となりました。

 私立高校で水泳を続けることも考えましたが、佐渡高校で大学進学を目指すことにしました。親元を離れて生活する自信がなかったというのも本音です。
 高校では、担任の先生の勧めで、野球部のマネージャーになりました。前年度、佐渡高校野球部は夏の大会で決勝に進み、甲子園まであと一歩ということで注目を集めていました。2年・3年はそれぞれ10人いるかいないかの部員数ですが、私たちの代は22人入部し、一気に大所帯となりました。

──「人間力」「佐渡から甲子園」で有名な、深井浩司先生が監督のときですね。

 練習時間は平日4~5時間、休日は朝7時半に集合し、夜の7時過ぎまで、そして毎週遠征に行きました。私の人生において最もハードな生活です。
 それまでの好成績が考慮され、春の選抜高校野球大会に21世紀枠として出場することができました。選手の努力はもちろんのこと、たくさんの方々の支援と協力がありました。甲子園出場直前に発生した3.11東日本大震災。多くの方が苦しい思いをする中で、甲子園で試合を行うことができたことは感謝しかありません。「佐渡から甲子園」にどれだけの方が関わり、応援してくださったのか想像しきれませんが、それが私たちの力になったことは間違いありません。

──教員としての原点は何でしょう。

 小学校のクラスは荒れていました。いわゆる学級崩壊です。4~5年は特にひどいものでした。いじめは当たり前。みんな順番にいじめられます。私もいじめられました。そしていじめに荷担したこともあります。
 「先生、トイレ」といい、教室を出て行きます。「行ってきていいですよ」の先生の言葉を待つ人はいません。誰かがトイレに行ったら、もう教室に戻ることはないのです。
 そんな日々の中で、ぶれないように道を示してくれたのが母でした。母は、あまり口うるさく言うタイプではありませんが、大事なときにドシッと重い一言を発します。それに、ハッとさせられながらここまで来ました。全て見透かされているのだと思います。母を越えられる日は来ないだろうと、最近しみじみと感じます。

──当時の先生はどうでしたか?

 小学6年生のときの担任はH先生です。残念ながら一昨年、亡くなられました。どうしようもない私たちのクラスに、急遽担任になってくれました。H先生はじっくりと私たちの声に耳を傾け、ダメなことはダメと言いってくれました。がんばったときには存分に誉めてくれる初めての大人でした。「学校の先生いいな」と思い始めたのはこの頃からです。H先生がいつも言ってくれた言葉、「夏怜さんは笑顔がすてきですね。」今思えば、「笑いなさい」という意味だったと思います。
 今の私があるのは、大人や子ども、先生や生徒、監督や選手の関係性を越えて、関わってくださった方々のおかげです。私も子どもにはできる限り誠実に、素直に、一人の人として接したい。そんな大人になれたらいいなと思います。

栄光の記録

佐渡市美術展覧会 ジュニア絵画部門 (10/8)
市長賞 2年 古屋野レイ

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