佐渡市立赤泊中学校

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学校だより【3月号】

2023.3.27

走り続ける赤中に

校長 本間祐一

 4月から、佐渡市立二宮小学校へ勤務することとなりました。2年間の在職期間中は、生徒はもとより、先生方、保護者の皆様、そして地域の皆様から大変お世話になりました。本当にありがとうございました。赤泊中学校の勤務は、毎日が楽しく充実した日々でした。紙面を借りて感謝申し上げます。
 2年前、赤泊中に赴任して、全校陸上練習や全校駅伝練習に参加するようにしました。昔からマラソンは苦手でしたが、自分の健康維持やダイエットを考えてのことでした。赤泊中学校は、部活動は加入希望制ですが、陸上や駅伝の練習は、本人の希望を尊重した上で3つのグループに分けて全員で取り組んでいました。
 これがなかなか面白い取組で、選手を目指すAグループ、選手までとは言わないが自己記録を更新したいBグループ、タイムにこだわらず楽しく健康維持を目的としたCグループを、自己選択して練習するものです。途中でグループを変更することも可能になっています。
 私はA・B・Cのどのグループにも参加するように心がけましたが、いつしか一緒に練習することがあまり苦痛ではなくなっていきました。自分でも不思議に思います。
 成長期の真っ只中にいる中学生のグループですから、当然私が相手になるはずがありません。アップの練習からその差は歴然でしたし、タイムレースやロード練習を一緒に行うものならば、あっという間に置き去りにされてしまいます。
 そこで、ハンデをもらうことにしました。例えば、5kmのロード練習をする時に、みんなより10分ほど早くスタートをさせてもらうのです。それでも途中、2~3kmあたりで先頭集団に追いつかれ、そして、4kmくらいでは全員の生徒に追い抜かれてしまいます。
 これは、思わぬ相乗効果をもたらしました。「後ろから生徒が迫ってくる」と思うと、苦しくても歩くわけにはいきません。そんな姿は見せられないと頑張ってしまいます。生徒も、「校長を追い抜け」という具体的な目標をもって、前を向いて走ることができるのです。
 「できれば抜かれたくない」⇔「絶対抜いてやる」
 この両者の走りはお互いを高めることにも有効に働いたと思いますし、私のように走ることを苦手だと思っている生徒にも勇気を与える結果となりました。
(少なくとも校長には負けないぞ、と)
抜かれることは悔しいしビリになるのも悔しいです。
しかし、赤泊の子達は誰一人馬鹿にする者はいませんでした。抜き際に、「ガンバ!」とか「ファイトです!」等の声をかけて追い抜いていきます。ゴールの際にも激励の声をかけてくれます。そのおかげで、苦痛感や屈辱感ではなく、気もちのいい汗を実感することができたのでした。
 思えば、中学生時代にマラソンでこんな気持ちになったことがありませんでした。毎日コツコツと練習をしていた同級生の子が、1年後に駅伝の選手となって下越大会や県大会に出場していた影には、きっとそんな魅力に気付いていたからなのかもしれません。
「マラソンは人生の縮図だ」と言う人がいます。マラソンのように、人生には辛いことや苦しいことがたくさんあって、時には諦めて歩きたくなることもあります。歩いてもいいし立ち止まってもいい、でもゴールを向いてまた走り出す人でいたいと思います。乗り越えた先に、必ず気持ちのいい達成感や充実感が待っているからです。赤中生の皆さんなら、きっとその気持ちが分かると思うし、皆さんと一緒だったからこそできたこと、感じたことだと思います。
これからも、切磋琢磨して走り続けるであろう、赤中の皆さんを、いつまでも応援しています。
ありがとう、そしてさようなら。

卒業おめでとうございます

 3月3日(金)第76回卒業証書授与式が挙行されました。今回は3年ぶりに来賓をお迎えした式となり、在校生、保護者を含め、多くの方々から祝福していただきました。大変ありがとうございました。
 在校生の浅形美月さんからの送辞、卒業生の近藤勇輝さんからの答辞、そして全校合唱、卒業合唱と、厳かな中にも感動あふれる式となりました。卒業生の今後の飛躍に期待します。

卒業式を終えて…

最後の学活

応援団のエール

令和4年度教職員

同窓会入会式

 卒業式に先立つ3月1日(水)。同窓会入会を行いました。会長である後藤重幸様より歓迎の言葉をいただき、卒業生代表として小橋円子さんが誓いの言葉を述べました。地元赤泊に残っても、また赤泊を離れても、いつまでも赤泊中の応援団でいてほしいと思います。

私の中高生時代(最終回 風間広樹教頭)

──生まれは魚沼だそうですね。
 新潟県でも有数の豪雪地帯です。子どもの頃は4~5mの積雪がありました。冬の体育は小学校から高校まで、ずっとスキーでした。また、小さいときから絵ばかり描いているような子どもでした。
 中学校では卓球部に所属しました。昭和の時代です、担任であり顧問であるN先生は、とても厳しかったと記憶しています。県大会にも進んだチームでしたが、自分自身は3年間補欠でした。
 高校では、「絵画部」に所属しました。顧問は「雪国の民家を描く」で有名なH先生です。日本全国を飛び回り、大きなキャンバスを現場に設置し、茅葺きの民家を描くというスタイルで精力的に活動していて、私は大きな影響を受けました。
 一方、勉強の面では徐々に落ちこぼれていき、エンジニアを目指して理系に進んだものの、受験校には一つも受かりませんでした。
 その後、親から浪人を認めてもらい、予備校に通いました。2年目の受験も工学系でしたが、これが最後のチャンスと思い、以前から自分の心の中にあった美術大学も受験しました。結局受かったのは美大だけ。そこにも行きたかったのですが、国立の教育学部美術科も合格し、そちらに進みました。
──大学はどうでしたか?
 初めて「学校が楽しい」と思えた瞬間でした。それまでの授業は、やらされている感が強く、特に高校の授業は苦痛の連続でした。
 大学では画家であるS先生が版画の講座を担当してくれました。普段は柔和な方ですが、絵に対する姿勢は厳しく、構図や色彩、もののとらえ方など、多くの学びがありました。数年前、御自身の展覧会の直前に亡くなられたのが残念でなりません。
──中学生にメッセージをお願いします。
 私は今年定年を迎え、3月で退職となります。佐和田中に再任用となりますが、ひとまずお別れです。私は少し回り道をしましたが、結局好きな美術の道が残り、そこをスタート地点に、教員として35年間勤めることになりました。
 みなさんのスタート地点は何でしょうか。ぜひそれを見つけ、将来の道に繋げていってください。未来には無限の可能性があります。

転退職の挨拶

 令和4年度末で校長、教頭以下5名の職員が転退職となります。ここでは3名の挨拶を紹介します。

教諭 笠木嘉則 在籍4年 再任用退職

 佐渡に戻って最初と最後の勤務が母校赤泊でした。いろんなことに協力し合う前向きな皆さんの姿から、毎日パワーと幸せをもらっていた感じです。生徒として過ごした木造校舎でも、教師として8年勤めた鉄筋校舎でも、素敵な思い出をいただきました。ありがとうございました。

教諭 安田夏怜 在籍3年 相川中へ

 「人こそよけれ赤泊」あっという間のこの3年を思い返すと、赤泊の人のよさに支えられていたことに感謝の気持ちでいっぱいです。いつも近くで笑ったり泣いたり、時間をともにしてくれた生徒のみんな、ありがとう。側で優しく見守り、たくさんの温かい言葉をくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。

栄養教諭 渡邉理沙 在籍3年 南佐渡中へ

 5年ぶりに赤泊中に戻ってきた時、当時の生徒たちはいなくても、中学生の食べっぷりが変わっていないことに、とても懐かしさを感じました。残さずたくさん食べてくれた小学生・中学生の皆さん、私たちを信頼し、預けてくださった保護者の方々、赤泊のおいしい食材を届けてくださった地域の方々全てに感謝しています。ありがとうございました。

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