学校だより【9月号】
2023.10.3
地域と共に「ゴール」を目指します
~「閉校」の正式決定を受けて~
校長 本間学
9月9日(土)に「赤泊中学校体育祭」が行われました。
今年度は入場制限を設けず、多くの保護者の皆様、地域の皆様、ご来賓の皆様にご来場いただき、生徒のいきいきと活躍する姿をご覧いただきました。皆様には、公私ともにご多用の中ご来場いただき、ありがとうございました。
当日は、それまでの猛暑が幾分か緩みながらも、まだまだ「暑い」中での戦いとなりましたが、子どもたちは、それ以上の「熱い」戦いを繰り広げました。“体育祭を思いっきり楽しみたい”“観ていただいている方々を楽しませたい”という「熱い」想いをもって、全員が競技、応援、係活動に一日全力疾走しました。
後日、保護者の皆様や地域の皆様から、「いい体育祭でした。」「素晴らしかったです。」「みんな元気がよくて楽しかったです。」という声をたくさんお聞きすることができました。中には、涙ながらにお話をされる方もおられ、私も思わず胸が熱くなりました。
9月17日(日)には、「赤泊カニフェスタ」が4年ぶりに開催されました。
「赤泊商工会」様から「赤泊カニフェスタ」のイベントの一つとして、当校の「赤中ソーラン」を披露してもらえないかというご依頼があり、有志生徒による参加として子どもたちに投げかけたところ、保護者の皆様のご理解もいただき、多くの子どもたちが地元のビッグイベントに参加してくれました。
当日は、島内外から集まった多くの来場者を前に、「赤中ソーラン」を元気いっぱい披露しました。アンコールの声に応えて、再度演舞し、踊り終わると、会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響き、子どもたちはとても満足そうな笑顔を見せていました。
後日、やはり各所でお会いした方々から「カニフェスタを盛り上げてもらってありがたかったです。」「赤中ソーラン見事でしたね。」「見ているだけで涙が出てきて、感動しました。」「生徒さんから元気をもらいました。」といった声をたくさんいただきました。
今、赤泊地域に限らず佐渡市全体で過疎化や少子高齢化が進んでいます。そんな中にあって、体育祭や赤泊カニフェスタでの子どもたちのハツラツとした姿や元気のいい明るい声は、保護者の皆様や地域の皆様に勇気や元気を届けることができたのではないかと思っています。先に紹介した、皆様の「プラス(賞賛や激励)」の声からは、子どもたちをとても大事に、そして「地域の宝物」として大切に見守り、また、健全育成に積極的に関わっていただいている皆様の「心意気」や「熱い」想いを感じます。皆様に支えられて今日の赤泊中学校があります。少し大げさではありますが、2つの活動(行事)をとおして、いくらかでも「恩返し」「地域貢献」ができたのではないかと思います。
さて、当校は、昭和22年5月に創立され、今年で77年目を迎えました。人に例えれば「喜寿」を迎えました。地域と共に歩み輝かしい歴史を刻んできた当校も「令和7年3月31日をもって閉校し、4月1日から南佐渡中学校と統合する」ことが、この程、佐渡市議会での審議を経て、正式に決定しました。今後、閉校に向けた準備と統合に向けた準備を並行して進めていきます。保護者の皆様や地域の皆様には、これから何かとお願いすることや、ご負担をおかけすることがでてくると思いますが、どうぞ、最後まで変わらぬご支援ご協力をお願いいたします。私たち教職員も、子どもたちや保護者の皆様、地域の皆様の赤泊中学校閉校に寄せる想いを受け止め、寄り添いながら、皆様と共に、しっかりと地に足をつけて取り組んでいきます。
赤泊中学校と子どもたちの歩みは「ゴール」に向けてまだまだ続きます。引き続き子どもたちへの応援をよろしくお願いいたします。
体育祭
9月9日(土)に体育祭が行われました。今年度は、4年ぶりに来賓の方もお招きし、生徒の頑張る姿を見ていただくことができました。来賓の皆様、地域の皆様、保護者の皆様、温かいご声援をありがとうございました。
選手宣誓
ジャンボ渦巻き
1学年種目(気配斬り)
2学年種目(障害物競走)
今年も大漁だぜ
大玉送り(PTA種目)
部活動対抗リレー
応援合戦
3学年種目(ニコイチレース)
赤中ソーラン
佐渡市中学校駅伝競走大会
9月14日(木)に佐渡市中学校駅伝競走大会が行われました。今年は、佐渡総合体育館(ヒルトップアリーナ)周辺を新コースとして開催されました。赤泊中はこれまで全員が駅伝部として練習を重ね、大会当日も全員が選手、応援、役員として参加しました。男子チーム、女子チームともに7位となり、惜しくも下越地区大会進出とはなりませんでしたが、みんなで完全燃焼することができました。
私の中高生時代(第4回 本間学校長)
──中学校時代のことを教えてください。
私の母校は旧「佐渡市立北中学校」。平成20年に閉校し、現在の両津中学校の前身「佐渡市立南中学校」と統合しました。今は校舎だけが残っています。
在学時は全校生徒40人前後の小規模校でした。同級生は私を入れて8人。担任の粕谷與志春先生は美術が専門で、絵画や版画、彫塑、切り絵などいろいろなことに取り組ませてくれました。自分の先品がコンクール等で入賞すると、変な自信もついて、美術が苦手だった私がいつの間にか美術が好きな教科になっていました。
先生は「失敗することを怖がらずにまずは一歩踏み出して挑戦してみなさい」と事あるごとに話をされていました。先生から受けた影響はとても大きく、教職を目指したのも先生との出会いがあったからです。
そしてもう一人。中学校時代に出会った社会科の先生の影響をうけて社会科教師になりました。中学1,2年の時に授業を担当された赤泊出身の羽豆孟先生は、生徒の興味関心を喚起し、資料等を使って地理や歴史の事象をいろいろな角度から追究していく等、とても面白い授業を展開してくれました。
部活動は(想像つかないと思いますが)バスケ部に所属していました。ただし、希望して入部したのではなく、当時は男子は全員バスケ部入部と決まっていたからでした。今と違って、練習中は水を飲んではいけないと言われ、毎日3㎞の走り込みや坂道ダッシュ、うさぎ跳び、筋トレ、練習中の絶え間ない声出し等々、今思うとよくやったなと思うきつい厳しい練習でしたが、3年の時、市内大会で2位になったことは今も思い出です
中学校時代の思い出は他にもたくさんありますが、少人数のアットホームな学校で、陸上や駅伝、生徒会役員等いろいろなことに取り組むことができ、今の自分の土台みたいなものができた3年間でした。
――高校ではどうでしたか。
高校は、すでに閉校した両津高校に進みました。
高校では、家庭の事情もあって、部活動には入らず、いわゆる帰宅部でしたが、楽しい充実した3年間を過ごすことができました。その中で、最大の出来事は一人の「親友」と出会えたことです。以来40年、今に至るまで私を陰日向になって支えてくれて、時には本気で叱り、一緒に泣いてくれるかけがえのない友です。実は教員として同じ道を歩んできた同志でもあります。
――進路選択はどのようにしましたか。
中学校の教師になりたいという「夢」を実現するため、自分なりに「なるにはブックス」を読んだり、担任の先生に相談したりして調べてみました。経済的に苦しい家計のことを考えると大学まで進むことに躊躇もあり、両親にはなかなか言えませんでした。そんな私の気持ちを担任の先生は両親に話してくれて、その結果両親も応援してくれることになりました。本当に感謝です。
高校では、教員養成系の大学を目指して勉強しましたが、学力が足りず、東京の私立大学に入って、ずっと好きだった歴史学を専門に勉強しながら、教員免許を取得しました。
――中学生のみなさんにアドバイスをお願いします。
私は、中学校時代に、自分の人生に大きな影響を与えた「恩師」ともいえる先生に出会いました。小規模校でハンデは確かにありましたが、そこでの学びや活動は大規模校に負けず充実していたと自慢できます。
みなさんには、自分の置かれた境遇を受け止めながら、前向きに自分の信じる道を力強く歩んでほしいと思います。そして、「今」を大切に、共に学び活動する仲間との時間や絆を大事に日々を過ごしてください。