佐渡市立赤泊中学校

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学校だより【10月号】

2024.10.31

赤泊中学校校歌 ~校歌への想い~

校長 本間学

 「弥彦嶺(やひこね)さやか浪に浮く・・・」で始まる赤泊中学校の校歌は、昭和28年2月11日、藤川忠治氏の作詞、山田常三氏の作曲によって制定されました。そして、同年3月8日の創立5周年記念式において、正式に発表・披露されました。(赤泊中学校 学校沿革誌より)
 藤川氏は歌人として、山田氏は音楽家として、共に当時、全国にその名を轟かせる著名な方でした。校歌制定の黒子役を担った担当者の方々が、当代一流のお2人に白羽の矢を立て承諾をいただいたことは特筆すべきことだと思います。また、これは私の勝手な想像ですが、きっと担当された方々は、戦後の新しい時代を築いていく若人への期待と、赤泊の子どもたちの良さや地域の素晴らしい自然、文化をお2人に熱く語っていたのではないでしょうか。そんな熱い思いが藤川氏や山田氏の心を動かしたのかもしれません。校歌制定にかけるその情熱とその間の様々な苦労や困難を想うとき、本当に頭の下がる思いでいっぱいです。そして何よりも、開校5年目の黎明期にあった当校のために、赤泊の素晴らしさや学ぶ目標、人生の理想を高らかに謳った歌詞と、明るくさわやかな力強いメロディを、次代を担う生徒のために提供してくださった藤川氏と山田氏にも、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
 こうして出来上がった校歌は、以来71年間、時の子どもたちによって歌い継がれてきました。当校に学んだ保護者・地域の皆様には、きっと、在校時の思い出とともに、全校やクラス、学年で、また部活動の仲間と歌った校歌の思い出も一緒に蘇ってくるのではないでしょうか。
 さて、校歌に掲げる精神や理想は、今なお様々な場面で活かされ、輝いています。
 校歌の3番にある「人こそよけれ赤泊」。この歌詞は、言うまでもなく、赤泊中学校を、そして赤泊そのものを象徴する代名詞となっています。2番の中にある「さ蕨(わらび)もゆる山なぞへ」の「さわらび」を、学級の名前に使っています。さらに1番の中にある「潮香(しおか)ただよふ丘のうへ」という一節の「潮香」は、創立40周年と50周年の記念誌のタイトルとして採用されました。
 ところで、校歌に関わり、最近感動したこと、うれしかったことが2つありました。
 一つは、地域からお聞きしたしたことです。当校の第3回卒業生の方が、80歳を過ぎてからハーモニカの奏法を学ばれ、赤泊デイサービスセンター「やすらぎ」でハーモニカコンサートを開かれているというお話しでした。10月23日(水)に開かれたコンサートでは、入所者の皆様から、赤泊中学校の校歌を歌いたいという要望があり、演奏曲目に赤泊中学校校歌を加えて、コンサートの最後に皆様で歌ったということでした。きっと中学生時代のことを思い出しながら、ハーモニカの演奏とともに懐かしく歌われたのではないかと思い、とてもうれしい気持ちになりました。
 もう一つは10月26日(土)に羽茂高校の創立90周年記念式典と祝賀会に参加した時のことです。式典には保護者や地域の皆様も参加されていました。式典の最後に全員で羽茂高校の校歌を歌ったのですが、生徒よりも参加されている保護者や地域の皆様の方が大きな声で校歌を歌っていました。その表情は、卒業生であることを誇りに思い、母校の発展を願い、卒業後の自分の歩みを振り返っているような、本当に誇らしげないい表情でお互い顔を見合わせながら楽しそうに歌っていました。そんな姿を見て思わず感動してしまいました。
 小学校、中学校、高等学校で折に触れて歌ってきた各校の校歌。時がどんなに過ぎてもその歌詞やメロディを忘れることなく、さまざまな思い出とともに卒業生の皆様の心の中に大切に残されているのだな、と感じた2つの出来事でした。
 当校は、来年の3月31日をもって閉校となりますが、校歌に込められた赤泊の素晴らしさ、そして赤泊の子どもたちに期待する姿を、どこで学ぶことになってもずっと忘れることなく、自らの生きる羅針盤として歌い続けていってほしいと願っています。

文化祭特集

 10月20日(日)に赤泊中学校閉校記念文化祭を開催しました。作品展、合唱発表、生徒会有志発表、PTA企画・PTAバザー・掘り出し市等を行い大いに盛り上がりました。PTA企画では、杉野浦の杉若会様から「小獅子舞」の披露、莚場の若手組様から「鬼太鼓」を披露していただきました。多くの皆様と一緒に伝統芸能を味わうことができました。また、PTAバザーでは、出店店舗数を増やし当日販売も行ってもらいました。赤泊中学校最後の文化祭を多くの皆様に盛り上げていただき大成功に終えることができました。誠にありがとうございました。

課題解決型職場体験

 10月9日(水)・10日(木)の両日、2年生が各事業所のご協力のもと職場体験を行わせていただきました。生徒は、2日間で大きな学びを得ることができました。各事業所の皆様、大変ありがとうございました。

【赤泊保育園様】

【佐渡警察署様】

校内読書旬間

 10月22日(火)から校内読書旬間が行われています。内容がとても充実しています。『委員会対抗!読書マラソン』、『作ろう♪オリジナルしおり』、『飾ろう★読書の木』と子どもたちも職員もわくわくしながら読書の秋を楽しんでいます。広報委員の皆さん、早川図書館事務さん、すばらしい企画をありがとうございます。

私の学生時代(第3回 髙橋朗教諭)

──小学校時代を振り返って
 今と変わらず(?)きかん坊な子どもでした。よく母に「思いやりがないねぇ。」と言われるほど、頻繁に友だちを泣かせたり、困らせたりしていました。だから到底、正統派のリーダーにはなれず、かなり生意気な子どもだったと思います。また、無鉄砲だったので、ケガの絶えない毎日でした。しかし、学校や勉強は楽しかったので、何に対しても前向きに一生懸命に取り組みました。これが唯一の長所だったのかもしれません。
──中学校時代を振り返って
 一番に思い出すのは、野球部の最後の大会です。1日目に2勝して迎えた大会2日目。帽子から雨が滴り落ちるほどの天候の中、5点のビハインド。味方の反撃による得点は2点止まり。最終回の攻撃に望みを繋ごうと守備に付こうとしました。ところが相手監督から、規定時間を過ぎて次のイニングに進めないことを指摘され、あえなく試合終了となりました。新潟地区大会に進出できるのは、優勝チームだけであったため、中学校での部活動はこの時点で終わりました。思い出すと、今でも寂しい気持ちになります。
──高校時代の思い出は?
 同好会からクラブ活動(部活動)になると言われていたサッカー部に入部するつもりで入学。しかし入学後もサッカークラブは開設されなかったため、中学校の先輩が多く在籍したバレー部に入部し、週に1回サッカー同好会に参加する日々でした。結局それは3年のクラブ活動引退まで続きました。社会人になってからも数十年間バレーボールをプレーしましたが、今となっては、高校時代が一番納得のできるプレーができていたと思います。
──大学時代の思い出は?
 高校で本格的にサッカーをできなかったこともあり、今度こそはという思いで上京。しかし、サッカー部の練習拠点が住居から遠すぎたためあえなく断念。その後、伝統あるバレーボール部に入部することも頭を過ぎりましたが、同じクラスのバレー部員に「入らない方がいいよ。」などと言われ、結局入部のタイミングを逸してしまいました。地域の社会人チームの活動に参加したり、学園祭に出場するバレーチームに参加したりしましたが、それ以外はアルバイトに明け暮れる毎日でした。大学時代は、たくさん遊び、いろいろな所に行き、それなりに勉強した楽しく充実した4年間でした。そして何よりも、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から集まった人たちと出会うことのできたかけがえのない時間でした。卒業が近づき、いよいよ就職を考える時期になった頃、中学校の恩師への憧れから、本格的に教職を目指してみようという気持ちが芽生えました。
――中学生のみなさんにアドバイス
 人のやることに一つとして無駄なことなどありません。だから何かに失敗しても回り道したなんて気にする必要はないのです。自分の興味のあることに思い切ってチャレンジし、多くのことを感じ、吸収していってほしいと思います。あれこれ考えるのは、後からでも構いません。まずは前に一歩を踏み出してみましょう。

文化祭報告

 10/20(日)の文化祭で行われた、赤い羽根共同募金、PTAバザー、PTA掘り出し市の報告になります。地域の皆様、保護者の皆様、ご協力ありがとうございました。

赤い羽根共同募金 9,988円
PTAバザー収益金 3,957円
PTA掘り出し市収益金 33,040円

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